新卒で介護職をやっていたときの話。
私は現在、3社目なわけですが、
それぞれの経験から、思ったことを書こうと思います。
介護職時代
新卒で、特養、デイ、地域包括支援センター、小規模多機能型居宅介護を運営している社会福祉法人に介護職として入職しました。
大学時代にめざしていたのは、社会福祉士。
相談業務につくことが、当初の私の夢でした。
大学に入ってからはいろいろな経験があり、一般企業も視野に入れて就活をしていました。一般企業の結果はボロボロ。一社も内定を貰えることはありませんでした。
まあ、そうなってくるとだんだん焦ってきて、福祉関係も何個か受けました。福祉でもボロボロ。
え、もういくところないやん…と半ば諦めていて、やっと決まったのが最初の職場です。
4回生の夏ぐらいだったと思います。
大学で実習も行きますが、私は社協への実習だったので、福祉の現場となるとホームヘルパーの実習で二日ほど行ったくらい。
全然利用者さんと積極的に関われなくて、向いてないんじゃないかと思いました。
内定を頂いてから、インターンシップのような感じで特養に少しだけアルバイトで入らせてもらいましたが、その時は衝撃を受けたような記憶があります。
食べるものが、まず、何かわからないくらいにドロドロしている。
ずっと、アーとかウーとかって言い続けている人がいる。これって、人の最期の場所として、これで幸せなんだろうか。人間らしい生き方とか、尊厳とか習ってきたけど、全然できてないんじゃないか。
そんなことを思いました。正直、わたしは利用者さんを怖いなと思うことがありました。こんなにわからなくなっても、生きているということが、何だかとても怖いと思ったのです。
きっと、倫理とか、人間的に、とかそんなことを超えた世界があるけど、自分の常識の中からは、やっぱり違うなって感じてしまう私がいました。
そして、配属されたのはデイでした。夜勤もなくて、日勤だけで、正直ほっとした自分がいました。
特養だったら、すぐ辞めていたかもしれないです。
はじめは、同期と一緒に座学だったり、基本的な介護の知識の研修がありました。
デイに配属されて、最初は少し先輩の指導係がついて、每日日誌みたいなのを書いて、面談していました。
年齢が近かったので、話しやすく、気さくな先輩でした。
利用者さんも思った以上に自分のことを自分でできる人が多くて、びっくりしました。
顔と名前を覚えてもらえたり、仲のいいというか、気にかけて話しかけてくれる利用者さんができたりすると、話をする時間は楽しかったです。
利用者さんにも、いろいろな人がいました。
中には、すぐに怒り出す人もいたり、なんでデイに来てるのかなというくらい、どこが悪いのかもわからないくらい普通の人もいました。
私が、働いていたデイは1日の利用者さんが30名前後。少ないほうだと思います。
曜日や日によって利用する方が違うので、全部で100人くらいでした。
まずは、利用者さんの名前と顔を覚えること。
それから、気をつけないといけないのが、食事やお風呂。
普通の食事が食べられない人。きざみ食、とろみ食。
お風呂は、車椅子の人、酸素を常にとっていないといけない人、など。
一番、事故や怪我が起こりやすい瞬間です。
わたしは、利用者さんに怪我をさせてしまったことがあります。いつも低姿勢で、「ごめんね、ごめんなさいね。」と言っているおばあちゃんでした。
お風呂の介助で車椅子に乗せた利用者さんを押していて、足がお風呂場の洗台の石に当ててしまいました。その利用者さんは90を超えていて、皮膚がとても薄く、かなり気をつけないといけない方だったのですが、
每日、每日介護の仕事を繰り返す中で、慣れや丁寧さが抜けて雑になっていたのだと思います。
「ああーーー。あかん、あかん。」
利用者さんの足からは血がたくさん出ていました。私は気が動転してしまって、「すみません、ごめんなさい」というのが精一杯でした。その後は多分、管理職の方と看護師さんが対応してくれていました。
自分の心臓がばくばくばくばくと、鳴りました。
これで死なせてしまったら、どうしよう。家族の人になんて言おう。どうしよう、どうしよう、どうしよう。
幸いにも命に別状はなかったのですが、その後落ち着いてから利用者さんやご家族さんが「気にしんといて、大丈夫、大丈夫。」と言ってくれたときもずきずきしました。
赤黒くなった肌を見るたびに申し訳無さと、もしもっと大変なことになっていたらと背筋が凍る思いがしました。
改めて、介護職という仕事がいかに死に近いか、自分の行動が命取りになるか感じました。
それだけ、介護職というのは、責任が重い仕事であることは間違いないです。
ほかにもたくさん、エピソードやいろいろなことがあったのですが書ききれないので、このへんで。
また、書きます。