30代女子のキャリアについて考えるブログ

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親がカルト宗教(エホバの証人)に入っていて、自分も入っていた話。

私が物心がつく前から、私の母親はエホバの証人という宗教に入っていました。

そして、私も入っていました。(入らされていた)

 

ちなみに、家族構成は父、母、長男、次男、三男、私です。

 

父の家系は仏教で、母も昔は神道だったようですが、

引っ越した先の団地の下の階に住んでいる方がエホバの証人だったのです。

それで、勧誘を受けて、母はエホバの証人に入ったようです。

 

いつから入ったのかはわかりませんが、

私が生まれたころには、もう入っていて、集会(エホバの証人の人の集まり)というものに連れていかれていました。

 

父は入っていませんでした。

ただ、私は墓参りというものをしたことがないです。あまり宗教のことについて、考えることはありませんでしたが、母がエホバの証人に入っていたのが関係しているのか、

 

誕生日のお祝いやクリスマス、といったものはありませんでした。

 

私が入る前に、長男、次男、三男ももちろん入っていました。が、みんな抜けていきました。

長男、次男とは10歳ほど離れていて、わたしが集会に連れられていたときは、母と3歳年上の三男と私の3人で行っていました。三男も、いつ抜けたのか覚えていませんが、小学校5・6年生くらいか中学校にあがったころには抜けていたと思います。

 

母は、とても敬虔な、というわけではありませんでしたが、

毎週2回、集会があり、そこには欠かさずに行っていたと思います。

 

それから、年に何回か、大会といわれる、全国規模の集まりがありました。

それにも出席していました。

 

エホバの証人は、信者同士を、兄弟、姉妹と呼び合います。

私も生まれた時から連れられていたので、信者の方には可愛がられていたと思います。

 

小学校に入って、だんだん物心がついてくると、

自分が入っている宗教が特殊なことに気づきました。

 

校歌を歌ってはいけない

輸血をしてはいけない

祝い事をしてはいけない

 

愛のムチと称して、ムチでぶたれた記憶もあります

 

もちろん、同じ小学校の中で、エホバの証人に入っている子も少しだけですが、

何人かはいました。ただ、やはり、みんなから変な目で見られたりしているような印象は受けました。

 

そういうことに敏感だった私は、友達との会話の中で、ばれないように、

話を合わせるように取り繕っていました。

 

きっと、エホバの証人に入っているってわかられたら、仲間外れにされるんじゃないか、と思っていました。

 

そうやって、自分というものを極力ださないように、隠しながら、生きていたような気がします。

 

 

中学生に入るころに、私は、母親にやめることを伝えました。

その時の母の顔は今でも忘れられません。

 

ひどく、狼狽して、それからひどく、落ち込んで、悲壮な表情をしていました。

このまま死んでしまうんじゃないだろうかと思ったほどです。

 

たぶん、私が最後の砦だったんだろうと思います。

 

ただ、ずっと小さい頃からエホバの証人じゃなかったら…

子どもの頃を普通に過ごせていたら…

 

という思いはずっとありました。

母のことを少し恨んでいたのかもしれません。

 

父がなくなり、結婚をするというときに、改めて母と話をしました。

自分が感じていたこと、辛かったこと。

 

一度は一生分かり合うことはできないかなとも思いましたが、

今となっては、母には、“居場所”が必要だったんだろうという解釈をしています。

 

結婚をして、友達のいない土地の中で、生活していくには、

やはり拠り所だったり、コミュニティというものが必要なのだと思います。

 

それが、母にとってはエホバの証人だった。

 

大人になって、エホバの証人がカルト宗教といわれていることを知りました。

カルト宗教かどうか、といわれると私はどうか分かりません。

 

何を信じるか、だれと関わるかによって、人生が影響を受けることは間違いないと思います。

 

ただ、それがその人にとって、何を意味するのかは、その人次第だと思います。

 

私は、自分の選択、生き方に後悔はしていません。

ずっと、母のせい、エホバの証人のせいで、私はこんなに普通に生きられないんだ、自分に自信が持てないんだ、と思っていました。

 

過去に縛られたままだったのだと思います。

 

今は、過去よりも、今をどう生きるか、だれと生きるか、これから先の人生をどう生きるかということの方が大事だと気づきました。

 

どんな経験も、自分の糧になるのだと思います。

自分の過去を乗り越えた今だからこそ、そう思います。